昭和44年12月13日 夜の御理解



 今日13日という日は、まぁ度々のことですけれども、ね、それぞれがもう本当に信心の有り難さというか、そういう有り難さに、いっぱいで過ごさせて頂く時にです、今日の13日会が済みましてから、久保山さんがここに出て見えて、今日午前中の御用奉仕の中に、実感しておられる事を、とにかくあの午前中に芹の芹が(くもう根のふいておる?)その芹が、今こそ根をいっぱいこう張って、まぁ花がなっておるというような、そういうその情景を感じて、信心の上で頂いておられる。
 それをもう感激いっぱいでお届する、いうなら、されたのを聞かせて頂いてから、今朝私はね西日本の何ですかね、その何月生まれの人の運勢と言った様なのが書いてある。あれを4月生まれの人というところにはもう毎日毎日、私はあれで神様があそこにあのように書いておって下さるんだなぁと、その運勢はん、の判断をする人の、そのことではなくてから、あそこにそういう風に書かれておる事を何時も(思うんで、あれがね?)今日は私のとこ、あの4月生まれのところに今日はね。
 その形のことより、心に目を張って行く日だ、と言った様な事が書いてあったんですよ。私まさかそれを実感しておるところへ、久保山さんの話しを聞かせて頂いたんですけれど。それもあの、教典を開かせて頂いて、今晩の御理解を頂きましたらね、「懐妊の時腹帯をするより、心に真の帯をせよ」という事。今日のその御理解の中に「出産の時、よかり物によかるより、神に心任せて心よかれよ」という、その前のところにあるこれですね。懐妊の時に、いよいよ本当のおかげという。
 ものが宿ったらですね、それが本当に無事、安産のおかげを頂く為に、まぁ心の事も御用しなきゃいけんです。例えば、今日は久保山さんの願いのでの事なんかは、まぁ本当に難儀なこう問題ですけれども、でその大変なおかげを頂く前の、いわば懐妊のいうならば、苦しみであり、でねだからこれを(あれたのにくれたのに?)するといったようなことではなくて、本当にあの心に真の帯をせよ、と仰るんですから。
 あの心に真の帯をしなければです、本当の喜びになってこない。いわゆる安産になってこないと、いう風に思うんですよね。だからそういう時こそいうならば根にずっと、芹の根じゃないですけれども、ね、又今日の私の運勢判断に、それじゃないですけれども、今こそ(しろめを?)目に見えないところにぐうっと信心の勢いの根というのは本当の春が来た時に、沢山のしこりを頂くための。
 いわば根が張っておる時だと分からせてもらわならんし、又あの張っておる時なのですから、その懐妊のその事、難儀な事が言わば宿ったという事は、おかげが宿ったのですから、その事に対してお礼さえ申し上げなければならないこと(やろう?)と私は思うですね。13日という日には、もうとにかくもう色々な、皆、あの御祈念前に文男先生から電話がかかって来てから、( ? )あんその(姉さんとの方?)あのお届があっておるんですけれども。
 これはもう安心と思うておったのが、急に(  ?  )なって、先生今日お届してないやつが、今手術をしたら良いだろうか、せんがよいだろうか。あの一つそのまっあの間違えたら、もう命にかかわるような状態ですからちいうんです。だから私は手術をせんでおかげを頂きなさい。というて、まぁ申しましたが。何故それをそういう風に、私が断言的にいよるかというと。
 風呂に入ろうと思うて私は、ぐずぐずしておるところへですね、ちょっとテレビで何かなんか、ニュースがあっておったから、それを見ておる、もう帯を解いて風呂に入るばっかりのところに、電話がかかって来たんです。私があれが風呂入っておる時にですね、かかっておったら、私はどういう風にお取り次ぎしたか分からないですけども。神様がそれを待っておって下さってるような感じがしますもんね。
 まぁ子供も、まぁ(びょう?)出産も、その出産の事でございましたけれどもですね。だから切開せずにそのままおかげ頂けと。という事は、あー、先生信心の帯をしっかりしなさい、という意味なのですよね。私共がね、信心に懐妊の時に、腹帯をするより、心に真の帯をしっかりさせて頂くという、おかげを頂いていけるおかげを頂かなければ本当じゃないと思うですね。
   どうぞ。